そして始めの一歩に戻る
絵も描けない。文も書けない。動画なんてもってのほか。
人様の作品を読んで感想も書けていない。
AB、BAの方々からそれぞれフォローいただいて、配慮という言い訳の元、どちらのネタも呟けてない。
ネタを呟かないと「私の日常なんて知りたい人いないだろうな」って思って普通のことも呟かなくなる。悪循環。
なんていうか。ツイッターでもどこでも、私がいる意味はあるんだろうか。
呟かないから何を考えているのかわからない。人様の投稿に爆速でいいねするだけの垢、必要あるんだろうか。
いや止める気もないけど。
自分に嫌悪感がある。
書けばいいのだ。描けばいいのだ。
でもそれで仕上がるものが他の人と比べて圧倒的に下手だ。当たり前だ。知っている。
「思いついた推しのワンシーンを文章や絵にしたい」という衝動が「でも下手だし」を超えられないから嫌なのだ。その奥底に「チヤホヤされたい自分」「失敗を恐れまくる自分」「否定しまくる自分」が浮き出てくるから嫌なのだ。
絵が描ける人はいきなり絵師になった訳ではなく、何百枚と練習して描けるようになった。
小説が書ける人はいきなり作品が仕上げられるようになった訳じゃなくて、何回も試行錯誤して悩みまくって書いてる。
皆努力している。努力して、練習しまくり、悩んだり苦しんだりして今の作品がある。
私は何もしていない。何も仕上がっていない。
中間の道をすっ飛ばして、できないできない言ってる。
いつになったら私は諦めて「地道な積み重ねしかない」と覚えるのだろうか。
千里の道も一歩からって言うけど、努力して何かをやり遂げた記憶がないので、
「そんなに歩けないよぉ~~~ヒッチハイクしたいです」って白旗振ってしまう。
しばらく書かなかったからか、メンタル的に悪い意味でリセットされてしまった気がする。
ツイッター風メモも、本当に立ち上げるだけで終わってる日もあるし、
マシュマロ課題の修正もできてない。
嫌なことばっかり考えるの、夜だからだろうか。
筋肉ならなー。一時期筋トレもプロテインもハマって取り組んでたんだけど。
あれも果てのない作業な上、誰が褒めてくれるわけでもないし、お手本と言うかすごい先人がいっぱいいたのに、そんなの気にせず「めっちゃがんばったー」って素直に喜んでたよな。
何が違うんだろう。
なんで肉体なら素直に自己受容できるのに、小説ではできないんだろう。
・肉体…評価するのは自分(見せびらかすことはあっても基本見るのは自分)
・作品…評価するのは他人(自分が読みたいのもあるけど基本見るのは他人)
上記を仮定とする。異論は受け付ける。
私が推しカプの小説書きたいと思った理由のひとつが「このネタはまだ誰も形にしていない」というものだったのだけど、これ、根っこに「誰も思いついてないもの書きました。見てみてー!」したいからだよな。
他人に見せることを前提とせずに100%己の好みを打ち込んだら書き上げられるのかな。
……出来るのかなぁ。
堂々巡りになってきた。日付も変わったしこの辺でおしまい。
明日からまた週末まで忙しいので、書く間隔はあくと思うけど。
読んでいただきありがとうございました。