あまいもの垂れ流し

書けない人間が書けるようになるまでの記録

好きなもの、好きだったもの

 昔自分が何を読んでいたのかを考えていた。
たしかジャンプの、そのとき流行のマンガを少し。少女漫画よりジャンプ派だった。

アニメはほとんど見ていない。地方でそもそも放送がされないというのもあったし、テレビはもっぱらゲームのために占拠されていた。それ以前に、私はあんまり映像得意でなかった。視覚と聴覚を同時に働かせないといけないから。

 考察とかする人よくあれだけ細かいところ見てるよなーって思う。何回か見直すのかもしれないけど、人の考察を読むと自分がいかに情報取得できてないかよく分かる。
マンガと小説はその点、視覚だけでいいから負担が少ない、と思う。

 


 小学校の頃に読んだ『チョコレート工場の秘密』とミヒャエル・エンデの『モモ』が好きだった。食べ物の描写のところがお気に入りで、何回も読んだ覚えがある。ジョッキになみなみと汲んだチョコレート一気飲み、お砂糖でできた草、ぱりぱりに焼けたクロワッサンにホット・チョコレート。食事の味がするガム。最高やんけ。
同じ理由で『幽霊アパートの幽雅な日常』も好き。ライトノベルです。


 ホラーはてんでダメだったが、吸血鬼ものは比較的平気でいくつか読んでいた。
催眠要素と「血を吸われる美女」というところにエロさを感じ取っていたんだと思う。
元祖とも言うべき「吸血鬼ドラキュラ」で、野宿をするときの神父が放った「私は石の上でも眠れる」という一言が、やけに頭に残っている。

 インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア(夜明けのバンパイア)という映画も覚えてる。美しいんだよな。最後のほう切ないけど。
小説も読んだと思うけど、映像のイメージが強すぎて中身をあんまり覚えていない。

 

オタクとして生活し始めた学生時代から、好きになった作品は早かれ遅かれ二次創作を漁り、ときにイベントで本を得るべく遠征したりしたけど、「この情熱を伝えたい」と衝動に突き動かされるほどのことはなかった。

大抵、好きになって、ネットで同好の士の熱い萌え語りを見て、それを読んで自分も盛り上がる、みたいな。書いててちょっと虚しくなってきた。

数少ないオタ友とはジャンルが被らなかったし、ネット上でも交流はしなかった。

(正確に言うと、少し交流していたが、己のイタさを自覚したので引きこもった)

 

 

長いこと情熱が足りないライトオタクだったが、去年の3月ぐらいにいきなり沼に落ちた。

 今までいろんなジャンルを渡ってきたけど、あんなに「すこーん」と音がしそうな落ち方は初めてだった。

 はまったのは、秋から放送していたアニメだった。

私は普段アニメは見ない。それでもぽつぽつと視聴し始めたのは、原作のスマホゲームを今もやっているからだった。知っているものはとっつきやすい。

最初は普通に視聴していた。

原作に忠実に作られているので、安心して観ることができた。見逃してしまっても、TLの反応で現在どこまで行ったのか思い浮かべることができた。

 

手に汗握るクライマックスで、そのキャラが活躍し始めるところを繰り返し再生していた。武器を取り出す瞬間がどうなってるのか気になって、コマ送りで再生していたのだが、それが良かった?らしい。

心臓がどくどく妙な脈の打ち方をし始めた。今まで何回も見ていたそのキャラが、やたらと輝いて見えた。訳が分からない。わからないけれど、恋に落ちるときってあんな感覚なんだと思う。

気がついたらスクショしまくっていた。当時の私の画像フォルダ、推しの1秒毎のスクショで上から下まで埋まっている。

今もあのときのときめきの理由を説明できない。どこが好きなのか語ることができないのに、世界がそのキャラ一色になった。

 

正直に言う。狂った。

最終回が放送終了すると同時に初回特典付きのDVDボックスを申し込んだ。キャンセル待ちのお高いフィギュアを予約した。

どれだけ絵柄がきれいでも、物語が面白くても、グッズに手を出したことはない。見るだけで満足できる。諦めることができる。「何に使うんだ」と理性がちゃんとブレーキしてた。

それが一気に狂った。ノンストップで崖っぷちであった。貯金のことである。

一ヶ月後に届いたDVDの初回特典グッズは、実生活で飾る場所もないのに「手に入れた」という満足感が高く、当時めちゃくちゃハイテンションで「自分の人生で『実質無料』だなんて言葉使うなんて思ってもみなかった」等と友人に話していた。

この調子でいろんなものにハマり続けることができれば、人生楽しいだろうなと思う。

 

当初は推しキャラA単体で推していたのだが、3日後にはキャラAと因縁の深いキャラBの組み合わせを推すようになっていた。ABは王道だった。ジャンル自体も巨大で、絵もマンガも小説も死ぬほどあった。金銭感覚の乱れと趣味に費やす時間は一時日常生活を切り詰めなければいけないほどだったが、本当に幸せだった。

 

それが唐突に正気に戻った。

はまってから3ヶ月目のことである。

 

原作はスマホゲームである。推しもガチャでゲットできる。

推しは期間限定でしか入手できず、排出率が異様に低い。何万円つぎ込んでもゲットできない人もいる。

私はドハマリするより前に、運良く一枚だけ入手できていた。

正直、先に引けておいてよかった。はまったときに持ってなかったら私もつぎ込んで爆死してたかもしれん。

 

ある日。公式から推しの期間限定ピックアップキャンペーン告知が来て、TLが沸き立っていた。

重課金勢が出るまで回す決意を表明する中、TLに、恐ろしい話題と画像が流れてきた。

 

給料一ヶ月分をつぎ込んでも推しが出なかった人の嘆きと、 

別の人の、推しが55枚揃った画像である。

 

推しは期間限定でしか引けない、排出率の低いレアキャラである。

年に一回あるかないかのキャンペーンでしかゲットできない。

一ヶ月分の給料つぎ込んでも、出ない人は、出ない。

それが、55。全員限界まで育成済。

 

何十万課金したのかとか、いつからやってらっしゃるのかとか、そういった疑問が浮かぶより早く、私の心が折れた。ばっきばきである。

世の中にはあまりにもつよい人間がいる

という事実を知って、Aへの感情もABへの萌えも萎れてしまった。

いや、一年経った今でもAもABも好きだ。ちゃんと育成して、クエストのときには必ず連れて行く。TLに流れてきた作品も拝見する。

でも以前のような熱狂的な、世界が推しだけで色づくようなときめきがない。

 

55枚。

あの人みたいに、出るまで回す決意とか根性や資産、そういったものが私にはない。

そう思ったら潮が引くように気持ちが静まってしまった。

 

友人には「(愛し方は)人それぞれだ」 「枚数揃えるのがゲームの本質ではないだろう?」って言われた。確かにそうなのだが、一度折れ曲がった鉄板は元通りにならないんだよ。

 

思い出して少しだけ憂鬱になってしまった。

明日は好きなものか創作かについて書けたらいいな。

というか、くだらない中身でいいから毎日更新できるようになりたい。