あまいもの垂れ流し

書けない人間が書けるようになるまでの記録

メンタルストレッチ

 休みの日は、いつもと同じ時間に起床できただけでもお得感がある。

 

ゴミ出しをした。朝の散歩をした。洗濯もした。Twitter風メモにネタ出しもした。

なのにまだ午前中だった。

なんでいつもグータラ寝ているんだろう。なんで起きることが怖いんだろう。 

 

本日朝すっきり目が覚めたのには理由がある。

推しカプの新しい小説がアップされていたからだ。しかも2本。

布団の中で読み進めるうち、あっという間にお目々ぱっちりである。そら布団から爽やかに飛び出すってもんよ。

 

それにしても皆さま作業が早い。

上がった2本はそれぞれ別の方が書いた作品なのだが、ほんの3日ほど前に「○○書いてる」と進捗上げてらしたのだ。

それが、片方は晒していた進捗状況の少なくとも5倍に文字数が増えており、もう片方は今書いてるのとは別のものを作品として仕上げていた。

どうなっているんだ。精神と時の部屋持ちか。以前も別の方が、「今○○塗りの勉強してる」て書き込んでから数日で作品上げてた。

作業進捗てもしかして、私が思っているよりすいすい作品を完成させれる人が載せるものなんかもしれん。気をつけよう。

 

精神と時の部屋は冗談としても、可能性として

・速筆

・集中力がすごい

・作り始めたら「完成させる」のが当たり前になっている

・ゴールを明確にしている

などがあるのかなと思った。ちょっとだけ凹む。速筆はもとより、私にはないことなので。

 

集中力

ない。

やるべきことほどよそ見する。そしてそのよそ見の方には集中できる。現実逃避が得意。小さい頃に私のイメージとして「気まぐれ」という単語があがった。それくらい、集中とは無縁。

 

完成させる

課題の締切ぶっちぎりも、そのまま出さなかったこともある。締切への認識がゴムじゃなく古びた輪ゴム。延ばすとよく切れる。

ゴール

なんとなくで書き始めるから、終わりどころか次の展開も見えない。

入り口だけはいっぱいある。どこに進めばいいんだ。

 

 

だめだこれは。

そもそも文章能力とか語彙力とか以前に、人間としての基礎能力が

(5行ぐらい自分いじめの文章を書いてたが削除)

 

 

こういうときには気晴らしをしよう。

自転車に乗って飛び出した。目指すはちょっと山寄りにあるつつじ公園である。

公園と言っても私が知るかぎり遊具はない。小学生が全力疾走しても息切れしそうな広さ、その芝生を囲むように、花々が植えてあるのだ。

高台にある公園は、名前の示すとおりたくさんの色鮮やかなツツジが咲き乱れており、目当てに来た人たちがはしゃぎながら写真を撮ったり、日傘をクルクルして談笑しながら、ゆっくりと階段を登っていたりした。

 

ほほえましい光景を横目に、ゆるゆると坂を登る。上からは市内が一望できる。

そこそこ風は吹いているものの、陽が暑い。そして一気に登るとさらに暑い。2/3ほど登ったところで、もういいかと芝生に座り込んだ。息切れである。

特に視線を定めるでもなくぼーっとあたりを見る。

視界の半分は空で、高層圏に筆をかすらせたような雲があった。

空と街との境目にはうっすら青。水平線だろう。

町並みが視界いっぱいに広がっており、眼下には遠くにつつじ園。近くには広すぎる芝生のあちこちに、くつろぐ人々がいた。

 

家族連れもカップルも友達連れもいた。

シートを引いてお弁当食べてる人もいた。

私も食べるものを持ってくればよかった。そして次に来るときは一人用のシートを用意するべきだ。寝っ転がって空見るのは最高に気持ちいいに違いない。

 わーわー子どもたちの騒ぐ声とたまに後ろを通っていく、散歩する犬の興奮した息遣い。

時間を潰していると、書くことがどうでもよくなってきた。

いや違う。書きたいんだけど。書くつもりではあるんだけど。

 

こう、今まで私は今まで「書くこと」をど近眼の人よろしく3cmくらいの距離で見ていた感じがした。超至近距離。

けれど絵にしても小説にしても、いや、仕事も化粧も何もかも、「全体で見る」がすごく大事なんだよね、たぶん。

一点だけにこだわってるから、なかなか終わらないし、そこしか見てないから、別の選択肢があることにも気が付かないんだろうな。

 

視力が落ちる原因も、同じ距離ばっかり見ることにより筋肉が緊張して凝り固まるからとか見た気がする(うろ覚え)。私のメンタルと一緒か。あれ、これすべてに適用できるのでは?

 

今日、外でぼーーーっとすることによって、緊張がちょっと緩んだんだと思う。

雨の予報だけど明日も散歩する。